オーガニックサポートライフ「SORA」  川内たみ

 
 

はじめてねんどの製品と出会ったのは、もう、13年以上前になります。
旧知の友人のパーティに、清拭剤などねんどの製品を持ってきてきている人がいて(それが、今(株)ボディクレイ代表の手塚さん、ねんどおじさんです)、私は、それを一目見てなんだか、ピンと来るものがあったのでした。
透明なチアバックに入った白いねんどはとても魅力的にみえました。
 その頃はまだ、ボディクレイという名前ではなく、別の名前で産声を上げたばかりの状態で、わたしが手に入れたのは清拭剤(今のパック)。 わくわくして使ってみると、使い心地もなかなかよかったし、朝の洗顔時に手に触れる肌の感じが 直に すべすべしっとりしてきてびっくりしました。



 わたしは、まだこども達が保育園に行ってる30代の初めに、西荻でアクセサリーの工房をはじめたのですが、その後、元郵便局の建物で 工房を兼ねたユニークな何でも屋「ジャムハウス」(ここは、75年の平和行進の拠点の一つ)を経て、夫(当時の)や仲間とほびっと村(70年代のカウンターカルチャーの拠点になった)をオープンし、その後、元のジャムハウスの場所で、女性達と自分たちのやり方で生き生き働ける場所としての「たべものや」をみんなで12年間やってきて、、

 ねんどに出会ったのは、そのレストランをバブル時の立ち退きで閉店した後、やっと手に入れた自由な時間?今思うと人生の夏休みみたいなーを楽しんでいた頃だったのです。
この時間を手放すのには、ちょっと決心がいったけれど、手塚さんに誘われて、結局、週に2日だけ、とか言いながら、粘土科学研究所に通うことになり、その後、どっぷりとねんどにはまることになってしまったのでした。
まず、捨てても土に帰る安全性に惹かれたからですが、使ってみると気持ちいいだけでなく、思いがけない効果(化粧品に対して期待していなかったせいもありますが)もあったし、スキンケアだけでなく、他にもいろいろと可能性を秘めていそうで、興味津々だったからでもあります。
この粘土(モンモリロナイト)の研究を十数年もやってきたのは、今は亡くなった化学者である手塚さんのお父さん、手塚煕氏でした。
彼からは粘土のあらゆることを一から教えてもらいました。マンツーマンで化学の授業を受けながら、一緒にレシピを考えたり試作をしたり、もともと勉強好きな私は 手塚お父さんの熱心な生徒になって、モンモリロナイトなんて聞いたこともなかった未知の物質の不思議さに、どんどん引き込まれていったのでした。思い起こすと本当に貴重な体験をさせていただきました。今でもわからないことがあるとお父さんに訊けたら、と思います。それに、ボディクレイがこんなにポピュラーになったことも見てもらいたかった。

 モンモリロナイトは化学物質と比べて扱いにくい原料ですが、製造に関してはベテランの和代さん(手塚さんの妹さん)がいて安心でした。彼女は余人に代え難い技の持ち主なので、当時は彼女が倒れたら製造はどうなるの、と 時々不安になっていたものです。(彼女はミスターチルドレンの大ファンで、おかげで私は 和代さんもミスチルも大好きになったのでした。)
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当時は、パッケージの形態こそ今に近かったけれど、違う名前で産ごえを上げたばかりの状態で、販売方針やアイテムの構成、価格等々、何からなにまでやることが山積していたのです。
おかげで 私はいろんな分野の能力を全部引っ張り出して何とかしなければならない羽目になったのだけど、今思うとその大変さゆえに楽しい思い出です。
販売や経営的なことに関しては お店での長い経験があったし、製品のレシピの検討や試作はお料理を作る面白さ、むずかしさとよく似ていて「たべものや」の経験が役立ちました。何よりきびしい消費者としてのキャリアがあった。それに、大昔は、セツ モード セミナの第一期ゲリラ(我ながら懐かしい!今となっては殆どの方は知らないでしょうけれど)の イラストレーターとして活躍したこともあったので、パンフレットのイラストやレイアウト、ラベルのデザインも、好きな分野の仕事でした。
ボディクレイという名前に決めて、販売を始めたのは95年です。ラベルも基本的には現在のものと
同じですが、当時の粘土科学研究所はまだ余裕がなかったので、最初の頃はコピーしたラベルに、手書きで丸く色を付けていたものです。(その後、同じデザインの印刷へ)。
最初の一色刷のパンフも私がやったのでしたねえ。文化祭のノリだったかも。

営業もはじめてやったけれど、このとき、今までは単に友達、とか知り合いだと思っていた人たちが、すぐにボディクレイを取り扱ってくれることになって、びっくりしたことを覚えています。自分では、それまで全く気がつかなかったけれど、私がやってきたことがある種 信用になっていたのですね。

 その後、一通りのボディクレイのシリーズのアイテムが揃って、粘土科学研究所を卒業し(?)、粘土科学研究所昭島分室は1999年オーガニックライフサポート(有)空として独立し、ボディクレイをはじめ、私が直接商品開発に関わったアイテムを中心に、流通をやっています。
たぶん、業界一扱いアイテムが少ない、でも扱っているものについては、一番詳しく正しい情報をお伝えできるコアな流通だと自負しています。

 今でこそ,ねんどもポピュラーになってきていますが、当初は、え?!粘土?という反応も多くて、なかなかむつかしかったものです。でも、目新しいだけに、雑誌やテレビに取り上げられることも何度かあって、ほしいんだけど売ってるところがない、という状況だったのです。(未だに、まだ、そういう傾向がありますが)私がボディクレイのHP(今のSORAのHPの前身)を作ったのは、1997年頃です。ねんどについての正しい情報を伝えたい、ということと買うところが近くにないお客様のためにボディクレイが手に入るようにしたかったからですが、HPを作ってからの2、3年は、他に売ってるところもあまりなくて、目が回るような忙しさでした。
もちろんボディクレイの注文も、毎日それなりにきていたのだけど、掲示板には毎日質問が殺到するという感じで、あっという間にカウンターは20万を超え、、、私は、それに、答えるのに、日夜パソコンに向かっていたものです。むつかしい質問も多くて、本を調べたり、実験してみたりで、ずいぶん勉強させてもらいました。
とはいえ、あれから何年も経っているけれど、まだまだボディクレイを知らない人も大勢います。丁寧に説明して、大事に売っていって、ゆっくり確実に伸びていくのがボディクレイには似合っていると思っています。
ずいぶん前ですが、ねんどのハミガキ発売の頃、エコロジー事業研究会の加藤さんがそれについて書いた私の文に、・・・何か今までとは違ったセンスや、大げさに言えば違った生き方に繋がる感覚をこの「ねんどのハミガキ」は伝えてくれます。・・・と返事してくれたことがあります。

ボディクレイを通じて、そういう発信ができたら、本当にうれしいことです。

 川内 たみ